私が早稲田大学に行った至極単純な理由

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自分は大学の同窓会などの行事には結構顔を出す方だ。
出身校で群れるのを避ける人もいて、その気持ちはわからんなくもない一方、
大学にはどうも思い入れがあって、幹事だの何だのと引き受けてしまう。
そうなった経緯は高校3年生のときにさかのぼる。

早稲田はかつての祖父の夢

それは高3の12月か1月頃だったろうか、祖父が病床に伏していたところ

父「試しに私大を受けてみたら?(完全に思い付き)」
私「え、いいの?それじゃ、じいちゃんが、本当は慶應に行きたかったって言ってたらしいから、慶應受けてみることにするね」
祖母「違うよ。じいちゃん、早稲田に行きたかったんだよ」
私「え…じゃあ、早稲田にする!」

それは、かつて進学を許されず断念したじいちゃんを、少しばかり喜ばせたいという思い付きだった。

受験に行ったその日に一目ぼれ

母に連れられ受験のため上京。
母は本女出身だったので、東京での学生生活を懐かしそうに話し、
早稲田にも近い大塚界隈を案内してくれた。

受験生を応援しに来るセンパイ

受験当日、キャンパスの入り口で運動部やサークルの先輩方が
「受験生頑張れ!」
と立て看板を持って応援している。
大熊講堂の前で学ランを着て
「わせだ!わせだ!わせだ!」
と校名をコールしながら盛り上がってる謎の集団がいたり。

衝撃だった。
なんだこのノリは!
なんか変だけど、めちゃくちゃ楽しそうやないか。
何より、見ず知らずの受験生をわざわざ休みの日に応援しに来る先輩方・・・
どれだけ物好きであつい人たちなんだ!

当時、私の知っている富山県の人たちは、ちょっと一歩引いてるところがあって
こんなに騒がなかった。
一方、この人たちの雰囲気は結構好きかもしれない。

医学部にいきたかったのかと言われれば…

後日、地元の国立医大を受けに行ったときには、
医大なので当たり前かもしれないけど
そんなノリは感じられない。

もとより医学科を受けるというのも医者になるという腹くくりが出来てのことではなく、
成績的に、ちょっと頑張れば手が届きそうだったからというもだったので、
もはや、この時点で早稲田への期待は高まっていた。
たいして大学の歴史なども知らぬまま、雰囲気で察するものだけだったのだけれど。

祖父はやっぱり喜んでくれた

結果、見事に国立医学部には落ちた(汗)
ただ医学部には届かなくても、幸いにも、わざと複雑に混ぜられたパズルを、
地頭でこねくり回すような種類の早稲田の理系の入試問題は相性が良かったようだ。

早稲田行きが決まってなってから、病床で口数の少なかったじいちゃんが私が行くたびに、
口数が多くなって誇らしげに喜んでくれるようになった。

帰省するたびに早稲田湯のみだの、タオルだのの早稲田グッズを病院に持っていったらじいちゃんは嬉しそうにしてくれた。

しかし救われたのは自分だった

でもいつしか私自身が、行った先で初めて学校が楽しいと思えるようになっていた。
こじらせ女子の典型みたいだった私でも、何時間でも語っていられるような仲間に出会えた。
人々や機会に恵まれて、人生に少しばかり希望が持てた。
人生が変わったと思った。
早稲田はそんな場所になった。

それは今はなき祖父の導きだったのかもしれない

親には私大で理系という高額コースで、金銭的な迷惑をかけたけど、
私にはすごく貴重でありがたく、また必要な経験だった。

今思えば、じいちゃんが人生の最後に導いてくれたような気がするんだよね。
「めぐは、ここへいけ」と。
他の大学に行っても、いいことがあったかもしれないけど、そうして祖父のことを思い出す度に、これでよかったんだと感じる。
講堂を眺める大隈さんの背中に、祖父を重ねてみるようである。

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書いた人
めぐ茶めぐ茶
Web制作とシステムの会社をやってるワーママ社長です。
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